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不妊を経験して人と比べるのはなぜ?

不妊を経験すると、これまで以上に人と比べることが増えていませんか?

私より後に結婚した友人がもう出産している・・・

不妊治療仲間で年上だった人が先日出産した、なんで自分はできないの?

二人目が欲しくて治療中だけど、「皆」子供は二人以上いる・・・

比較することで辛い思いになりがちではないでしょうか。そもそもなぜ比較をするのか、「利己的な遺伝子」をベースに私の見解をお伝えします。

目次

比較するのは自然なこと

人間はもともと比較する生き物です。おそらく生き物はすべて比較する能力を持っていますが、それはどれが食べ物でそうでないとか、どの果実が熟れていてそうでないとか、そういうレベルの比較です。

群れる生き物では誰が「強」くて誰が「弱」いかを比較するでしょう。そうやって生き延びていきます。だから人間も生きていく術が進化して、生きていく上で必要最低限でないものも比較する力がついているのです。

生きていくための比較する能力:「利己的な遺伝子」の仕業

上記したように、群れる生き物は特に生きていくために比較をして、より生き延びるように遺伝子が働きかけています。そうなんです、遺伝子がそうさせているのです!なぜなら、遺伝子は絶やされないように長く生きて、環境の変化に負けないように強くなるよう指令することが仕事だからです。

「利己的な遺伝子」という本をご存知ですか?この本を元に私の見解を述べていますので興味のある方、参考にしてみてくださいね。

今現在の人間の生活の中で、たとえば平均値を出しますよね。この平均でいることでまず遺伝子は安心しますが、さらに進化しないといけないので平均の上を目指そうとします。逆に、平均以下だと劣等感を感じるように脳が「仕組まれて」います。

皆が普通であることをよしとするのはまずは平均であることで、遺伝子たちが安心するからです。平均であれば、少なくとも退化はしていないし、進化の可能性があります。

生きていく上で平均以上をキープできれば、もっと安心できます。平均以下なら挽回すればいいし、平均以上なら気持ちに余裕がでます。平均以上なのか以下なのかはまさに比較によってわかります。だから、人間は日々の生活の中で比較をしながら安心感を得たり、焦りをおぼえますが、それは遺伝子たちの働きかけの部分もあるのです。

比較すること、されることで負担を感じるのも当然

こうなると、人間にとって他者と比較することは自然なことになります。ただ、自分を他人と比較して落ち込んだり、周りの人が自分を誰かと比較して好意的ではないことを言ってくるのは、負担ですよね。

できれば比較することで切磋琢磨し、すべての人類が良い方向にいくことが理想ですが、現実はそうはいかない。自分は比較されるのは嫌だ、と言いながら他の人達を比較してコメントするケースもよくあります。

比較がよいプレッシャーとなれば必要ですが、ネガティブな気持ちを引き起こすものなら負担と感じるのは当然ですし、心が傷つくことも多いでしょう。それは遺伝子が落ち込んでしまうのなら、うまくいくように頑張れ!とエールを送っているつもりなのですが、なかなか本人はそういった気持ちの切り替えができない、そもそも頑張れない、などの状況にあるので、比較されること自体に大きな負担を感じるのです。

比較する理由を探りながらも距離をおくことで楽になるかも

こんなふうに比較は遺伝子の仕業だったりもします。自分の意思と離れて、どうしても比較してしまうことがあるでしょう。そんな時はなぜ比較をするのか、を考えると少し楽になります。

たとえば、隣の家の住民が新車を購入したとします。自分の車は中古で購入した軽自動車。隣の新車はとても綺麗で魅力的です。収入が多いのかな、立派な職業のかな、裕福そうでいいな、うちとは違うよなあ、と羨ましく思う。

ここで、隣の家よりうちは裕福でない、というざっくりとした比較をすると毎日隣の家の車を見て落ち込んでしまいますよね。それは心の負担になります。

でも、何に落ち込んでいるのかを考えなおすと、
新車が欲しいのか?→いや、そういうわけではない
もっと収入をあげたいのか?→勿論、そう思う
収入が上がれば隣の家の人は気にならないのか?→う~ん、どうだろう?
では、何に落ち込んでいる?
→自分がもっていないものを持っている人がただ羨ましいのかな?
でも、それ(新車)が本当に欲しいかと言えば、そうでもないかも。
新車になったことで隣の家がうちよりも裕福だと想像して、勝手に妬ましく思ってるのかも

のような展開もあります。

勿論、本当に新車を買うことで心が満たされるのなら、それに向けて準備計画をすればよく、それは隣の比較をしたことで自分のモチベーションが高まったという、比べることで良い方向にむくケースとなります。

比較して感じる気持ちにとらわれすぎず、でもなんで比べるんだろう?と一度立ち止まると比較するという行動から距離をおいてとらわれた気持ちが落ち着くかもしれません。

不妊を経験して比較すること、されること

では、不妊の場合はどうなるでしょう?
不妊を経験すると、これまで以上に比較する機会が増えます。

不妊の辛さの根源「普通」と違うこと

不妊は、「普通」に妊娠できないことで起こります。
つまり、平均の中にいないことなので、それは遺伝子的には危機的な出来事です。
なんとしても「普通」に入りたいと思うのですが、
なかなかうまくいきません。

その結果、どうしても「普通」の人達と比べてしまい、
劣等感を感じることになります。
不妊は辛い気持ちになりやすいのです。

他人と比べなくてもいい、はわかっているけれど

年賀状の季節になってきましたね。もらった年賀状に子供が生まれました~という報告と赤ちゃんの写真がバン!とのっていることも多いでしょう。
その年賀状を見て、
「この人は私より後から結婚してすぐに体外受精をして1回目の移植で妊娠、出産したんだよね。この人はすぐに授かって、私はこの3年妊娠すらしないって、なんでこの人はうまくいって私はうまくいかないんだろう」
と夫に言ったら
「他人と比べなくてもいいんじゃない?」
とさらっと言われました。

恐らくご主人は他人は他人、自分は自分だし、そう思った方が楽だよ、と伝えたかったのでしょうけど
奥さんとしたら、そんなことはわかっているけど、うまくいかないと落ち込んでいる気持ちを受け止めてほしいと怒ってしまうかもしれません。

他人と比べて辛い気持ちになるなら、比べなければいいじゃない、とシンプルに思えれば良いのですが、
何度も言いますが、遺伝子の仕業でもあるのです。
何かと比較する力を人間はもっているだけに、比較してしまうのです。
それで、よりよい方向に行ってもらいたいと遺伝子は望んでいるのですが、
人間の心はそうもいかないのです。

そういった生物学的なレベルで語られても・・・
と思われるかもしれませんね。

比較することは自然なことなので、比較しなければいい、という考え方は受け入れられない人もいる、ということを知っていただきたいのです。では、受け入れられない場合はどうすれでばいいのかは次の項目を参考にしてみてください。

比べるのは自然なこと:比べて傷ついた気持ちをケアすることに焦点を当てる

比べるのは人間にとって自然なことなので、焦点を当てるべきは、比較して落ち込んだり、悲しんだり、腹が立った時にその気持ちをケアすることなのです。

先ほどの年賀状を見て焦りのような、怒りのような、悲しみのような気持ち・・・比べなければいいよ、という対処法より、その気持ち、僕も同じだよ、とか、その辛い思いはどうすれば楽になる?とか、年賀状って嫌だよね、とか気持ちに寄り添ったり、その気持ちのケアについて検討することをおすすめします。

結局のところ、比べても何もいいことはないのは本人が一番よくわかっているので、比べてもいいけど、それにまつわる気持ちについてはあまりとらわれ過ぎず(新車のケースのように)、比較してしまう理由を考えたり、比較によって生じた気持ちのケアを重視することが大事になります。

皆違って皆いい、と皆思ってくれるわけではないけれど

ガーベラ不妊相談室でも「皆違って皆いい」をモットーにしていますが、皆がそう思っているわけではないこともよくカウンセリングで話し合っています。

そうなんですよね、違うということに抵抗を感じる人も実は多いのです。なぜなら、「普通」「平均」であることを遺伝子は望んでいるから!

でも、遺伝子レベルの話と、人間の気持ちのレベルの話は違うだろうと思います。
皆違って皆いい、と皆が思えるようになれば
戦争も争いも(人間界の)マウンティングもいじめも無くなるでしょう。
今、不妊で悩まれている方ご自身も、自分に対して優しくなれるかもしれません。

比較することを人間はやめないでしょうけど、比較して皆違うね、皆いいね、と自然に思える日々がくること
を願っています。

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