阪神淡路大震災から25年
こんにちは。
心理士の小倉です。
今日で阪神淡路大震災から25年経ちました。
25年前の今日、私は京都の大学に通っていて、早朝に激しく揺れ、部屋中のものが倒れ、布団の中でもうだめだ~って思ったものの、おさまって外をみたら、真っ暗だったのもあり何も変化が見えず・・・
TVをつけ、友人から電話がかかり、情報収集をしていると、どうやら神戸が大変なことになっている、はわかったものの、詳細はまだわからず・・・
そして、その日は試験の日でもあったのですが、とりあえず大学に行くと、学生の半分くらいはいましたが、そんな中で普通に試験は行われました・・・
帰宅して、神戸の被害、とくに火災が現在進行形でも広がっているのをTVで見たときの怖さは今でも覚えています。
そして、今日、阪神淡路大震災についてニュースをいくつか見ましたが、
その中で、皆、忘れていってるような気がする、忘れてはいけない、のようなコメントをされた方がいました。
この方は、当時19歳だったお兄さんを亡くされたとのことですが、そのお気持ち、よくわかります。
ただ、心理的に言いますと、忘れることも大事、なのです。
忘れることができるから、前に進めます。
それは人間の心(脳、なんですけどね)がそうさせていて、それが健康的なのです。
そして、なにがいけないのかというと、
「なかったことにする」
ことです。
震災が、あたかもなかったかのように、日々を過ごすことは被災者への冒涜となるでしょう。なかったことにする、と忘れること、は全然違うのです。
上記したように、私は今も当時のことを思い出せます。鮮明さはないのですが、むしろ心に残ったことがしっかりと刻み込まれています。
忘れることは、思い出せることです。
だから、忘れていいのです。
でも、なかったことにして、日々を楽に生きようとするなら、それは必ずひずみを生むことになります。現実に目をむけていない、ということで。
勿論、日々の中で、え~、そうだっけ?のような、本当に記憶にないことが多々あります。
でも、その記憶の内容と、震災や辛い不妊治療の、内容は全然違いますよね。
心に受けた傷が、衝撃が大きければ大きいほど、忘れていいのです。なかったこと、にしないために、忘れることも大事であることを知っていただけたらな、と思います。